『放水路』 永井荷風
先週の『アド街ック天国「堀切菖蒲園」』の中で、東武「堀切駅」と京成「堀切菖蒲園駅」の関係についての話があって、これまで不思議だなぁって思っていた「堀切駅」の秘密がわかったのです。
かつての「堀切駅」は堀切菖蒲園のすぐ近くにあったのですが、荒川放水路を作るために西側に移動したのです。そのために、菖蒲園からは遠くなってしまい、おまけに「堀切菖蒲園駅」が新設されてしまい、「堀切駅」は東京23区内に所在する伊勢崎線の駅では最も乗降客数が少ない駅になってしまったのです。
この放水路ができたころのことを知りたいなと思って調べてみるうちに、永井荷風の「放水路」という随筆に出会ったのです。
荷風はいろいろなところを歩いていますが、この文章を書いた昭和11年ころ、墨田川界隈を歩くのには飽きてしまって、荒川の方に興味を持ったようです。暴れる川である荒川の水害を押さえるために荒川放水路の工事が明治44年に計画決定し、大正2年より工事が始まりました。放水路全体に通水したのが大正13年です。(荒川放水路物語より)
この荒川放水路の土手を歩きながら荷風は様々なことを考えたり、思い出したりしています。
市川の町へ行く汽車の鉄橋を越すと、小松川の橋は目の前に横たわっている。小松川の橋に来て、その欄干に倚ると、船堀の橋と行徳川の水門の塔が見える。この水門の景は既にこれをしるした。水門から最終の葛西橋までその距離は一里を越えてはいないであろう。 (本文より)
汽車の鉄橋とは平井と新小岩を結ぶ鉄橋ですね。ここを過ぎると小松川橋が見えてきます。そして小松川橋まで来ると船堀橋が見えてきます。(当時の小松川橋と船堀橋は、現在の場所とはちょっと違う所にかかっていました。)
船堀橋を超えると葛西橋(これも現在よりも少し北にかかっていました)、この先は東京湾です。
乗合自動車は境川の停留場から葛西橋をわたって、一方は江戸川堤、一方は浦安の方へ往復するようになった。そして車の中には桜と汐干狩の時節には、弁当付往復賃銭の割引広告が貼り出される。
まだ埋め立てが今ほど進んでいなかったので、「浦安で潮干狩り」が庶民のレジャーとして人気だったのです。
この土手は、今でも同じように歩くことができるので、この本のことを思い出しながら歩いてみようと思います。
2467冊目(今年166冊目)
« 『BLACK JACK 5』 手塚治虫 | トップページ | 『「顔」の進化 あなたの顔はどこからきたのか』 馬場悠男 »
「日本の作家 な行」カテゴリの記事
- 『小さな出版社のつづけ方』 永江朗 24-284-3310(2024.10.05)
- 『小さな出版社のつくり方』 永江朗 24-271-3297(2024.09.22)
- 『町の本屋という物語』 奈良敏行、三砂慶明 24-257-3283(2024.09.08)
- 『本を守ろうとする猫の話』 夏川草介 24-246-3272(2024.08.28)
- 『きりこについて』 西可奈子 24-204(2024.07.18)
「青空文庫・キンドル無料」カテゴリの記事
- 『放水路』 永井荷風(2022.06.22)
- 『桜の森の満開の下』 坂口安吾(2021.03.23)
- 『妙な話』 芥川龍之介(2021.02.13)
- 『大川の水』 芥川龍之介(2021.01.31)
- 『かへ』 藤井慶(2020.07.14)
« 『BLACK JACK 5』 手塚治虫 | トップページ | 『「顔」の進化 あなたの顔はどこからきたのか』 馬場悠男 »
コメント