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『同潤会代官山アパートメント』 三上延

同潤会代官山アパートメント

三上延(みかみ えん)

角川文庫

同潤会アパートは、財団法人同潤会が大正時代末期から昭和時代初期にかけて東京・横浜の各地に建設した鉄筋コンクリート造(RC造)集合住宅の総称である。
同潤会は1923年(大正12年)に発生した関東大震災の復興支援のために設立された団体であり、同潤会アパートは耐震・耐火の鉄筋コンクリート構造で建設され、当時としては先進的な設計や装備がなされていた。(Wikipediaより)

 同潤会が、関東大震災の復興支援のための団体だったとは、初めて知りました。

 

 関東大震災で大事な人を亡くした竹井さんは、八重さんと結婚する時に、こんな目に二度と合わないようにという気持ちで同潤会アパートに住もうと思ったのです。今でこそ代官山はおしゃれなスポットになっていますけど、このアパートができた1927年(昭和2年)ころは、渋谷に近い住宅街というだけで、今ほどの都会感はなかったようです。

 この2人から4代に渡って、このアパートでの暮らしが描かれていきます。1996年(平成8年)に取り壊され、2000年(平成12年)に完成した代官山アドレス(36階建)を見たら、高いところが嫌いで、引っ越してきた時に「3階に住むなんて怖いわ」と言っていた八重さんは、どんな感想を言ったでしょうか。

 関東大震災、第二次世界大戦、そして阪神・淡路大震災、家族には様々な困難があっても、時には仲違いをしながらも、力を合わせて生きてきました。離れたところで暮らしていても、やっぱり帰ってくる場所はここなのでした。

 それがどこであっても、自分が生まれ育った場所こそが故郷です。故郷がどんどん姿を変えていくのは悲しいけれど、自分の思い出をずっと持ち続けることはできます。あの時はこんなだった、あの人は今どうしているのだろう。そんな思いが故郷にあるのです。

 この家族にとって、同潤会代官山アパートこそが故郷だったのです。

2483冊目(今年182冊目)

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