『たちどまって考える』 ヤマザキマリ 225
コロナ禍によって移動制限が起こり、マリさんは家族と離れ離れの生活が続いています。もちろんネットを介して夫や息子や友人たちと日夜会話はしていますけど、実際に誰かに会うことが極端に少なくなり、長時間家に閉じこもって仕事をするという生活は、彼女にとって初めての経験でした。
マンガを描く仕事は家に閉じこもっていても問題なくできる仕事ですけれど、それ以外の時間をどう使おうかということをマリさんはいろいろと考えました。これまで時間がないという理由でやってこなかった料理を作ってみたり、本を読んだり、映画を見たり、意外とこれまでペンディングになっていたことができるということに気がつきました。
そして、様々な社会現象を考える時間も増えたのです。そんな中で日本人って変だよねぇって思うことがいくつも見つかったのです。
「失敗したくない」というメンタリティは現代の日本人が抱える大きな病ではないでしょうか。実際、コロナ対策で日本政府が急に方針を変えたり、何かと右往左往している姿を見ていたりしても、失敗したくない、つまり責任を取らなきゃいけない状況をとにかく回避しようとしている気がしてなりません。(p201)
何かを決めるということは、それをやってどうなるかに責任を持たなければなりません。でも、それを嫌がる人が余りにも多いのです。だから「多数決で決めました」とか「慣例でそうなっています」という言い訳を用意するのです。
「わたしが最高責任者ですから、わたしが最終的に責任を取ります。」と言う人がいないって、そりゃ信用されませんよね。でも、それが日本を動かしている人たちの考え方なんだから、呆れてしまいます。
虐待死まで行かなくても、子どもより世間体が優先されることは、日本の家庭でしばしばあることだと思います。
たとえば学校で自分の子がいじめられて帰ってきたとします。大多数の親はまず「どうしていじめられるようなことをしたの?」と子供に聞く。それはすなわち「あなたのほうが学校という世間に背いたのでは?」という意味で、その時点で親は子どもにとっての敵になる。いわば自分をいじめた一味です。親はもう、苦境に追い詰められた自分を無条件で助けてくれる存在ではなくなってしまうわけです。
この世間体優先の考え方は、西洋のキリスト教的倫理観のもとでは信じがたいものです。(p207)
「いじめられた方にも責任がある」「誤解をされるようなことをしたからいけないのだ」「痴漢をされるような服装をしていたからいけないんだ」というような話をよく聞きます。それはもう本末転倒なことのはずなのに、被害者の方が悪いかのようなことを言ってくる人が、日本には大勢いるのです。
本当にその子を信じていたら言えないセリフを吐いて、自殺やひきこもりに追いやってしまう毒親の根源が「世間体」なのだとしたら、それは余りに酷い!
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