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『他者の靴を履く アナーキック・エンパシーのすすめ』 ブレイディみかこ 244

他者の靴を履く

アナーキック・エンパシーのすすめ

ブレイディみかこ

文藝春秋

一万円選書 の中の一冊

エンパシー(empathy)
 他者の感情や経験などを理解する能力

シンパシー(sympathy)
1.誰かをかわいそうだと思う感情、誰かの問題を気にかけていることを示すこと
2.ある考え、理念、組織などへの支持や同意を示す行為
3.同じような意見や関心を持っている人々の間の友情や理解

英文は、日本語に訳したときに文法的な語順が反対になるので、エンパシー(empathy)の意味の記述を英文で読んだときには、最初に来る言葉は「the ability(能力)」だ。
他方、シンパシー(sympathy)の意味のほうでは「the feeling(感情)」「showing(示すこと)」「the act(行為)」「friendship(友情)」「understanding(理解)」といった名詞が英文の最初に来る。
つまり、エンパシーのほうは能力だから身につけるものであり、シンパシーは感情とか行為とか友情とか理解とか、どちらかといえば人から出て来るもの、または内側から湧いてくるものだということになる。(p15)

自分で自分のことは何とかする「自助」と、誰からも支配されない「自立」は別物だ。なんとなれば、政府に言われる「まず自助でやれよ」は、そこからすでに国家から命じられる支配が始まっているのであって、言い方を変えれば、国はあなた方から税金を徴収しますがあなたたちを助けることはしません。ということだ。これは、一般に言う「ぼったくり」ということではないのだろうか。(p107)

「迷惑をかけたくない」という日本独自のコンセプトは、一見、他者を慮っているようで、そうでもないのだろう。人を煩わせたくないという感覚は、ここに書かれている通り、人にも煩わされたくないという心理の裏返しだからだ。
互いを煩わすことを「悪いこと」とする社会は、表層的には他者のことを慮っているように見えても、実は誰ともかかわらず「ひとり」で生きて行く人の集団だ。つまり、これこそ「self-contered」、自己を中心とした世界で生きて行きたい人々の社会ということになり、そう考えると「迷惑をかけたくない」もあまり利他的には聞こえなくなってくる。
網の目のように広がる人と人のつながりを想像し、人は一人で生きているわけではないということを知ることから生まれる罪悪感が「guilt」であるのと対照的に、「迷惑」は人間を他者から遮断させ、自己完結しなければならないと思わせる。前者は他社との目に見えぬつながりの認識に基づいているが、後者は他社と関わることを悪として、しないように気を付けている点で真逆と言ってもいい。
そう考えれば、シンパシー(他者への共鳴や同志感、同情)が党派的であるゆえにエンパシーを不能にするのと同様、「迷惑をかけない」という概念も遮断的であるゆえにエンパシーの既往をブロックするものだ。他者の靴を履ける人は、他社にも自分の靴を履かせる人でなくてはならないからだ。(p181)

 人はひとりで生きて行くことはできないのだから、知らないうちに誰かのお世話になっているのです。それをありがたいことだ、自分も誰かの役に立つことをしようと考えるならいいのだけれど、なぜか日本では「他人に迷惑をかけない」ことが美徳のように考えられているのです。だから歳を取ってから家族に迷惑をかけないようにとか、ご近所の迷惑にならないようにとか考えてしまうのです。おまけに「自助」を薦める政治家までいる始末ですから、救われない人が大勢生まれてしまうのです。

 

 大きな問題になっているDV、ネグレクト、宗教問題などで、いつも出てくるのが「困っている人の話をまともに聞いてくれる人や場所がない」ということです。なにかに困っているという相談に「家庭の問題は家庭内で」とか「そこまで役所は立ち入れないので」などと言うだけでなく「あなたの方がおかしいのでは?」とまで言われることもあるという事実です。

 困っている人が目の前にいて、その人の訴えに対して「もし自分がその立場だったら」という想像力が働かない人って、人としてどうなの?と思います。相談者に対して「わたしに迷惑をかけないでくれ」と思ってるとしか考えられない返事をする人がいるのは、悲しい事実です。

 実際には、あらゆる問題に対して相談に乗ってくれる組織はあるのですが、そういう所に相談しようと思わない心理が多くの人の中にあるのも事実です。それは「諦め」なのか「迷惑をかけられない」という呪縛なのか。多くの若者が自殺をしてしまう原因もここにあるのだと思います。

 他人に迷惑をかけていいんだよ。それはお互い様なんだから。持ちつ持たれつ生きて行くのが人間なんだから。

 たったそれだけのことなんだけど、それすらも教えてもらえずに生きている人が多いのは何故なのでしょう。

 

 都合の悪いことは言わない、バレても開き直る、自分の仲間内だけの利害でものを考えている、そういうことを知るにつけ、もしかしたら、面倒なことは全部個人に丸投げしてしまえばいいのだと、誰かが画策しているのではないかと思えてしまうのが、現代の日本です。

 エンパシーは後天的に身につける能力です。常に想像すること、観察すること、考えること、そこから得られるものは計り知れません。そして、世の中を悪い方へ持っていこうとする力を阻止する力となるのかもしれないのです。

2545冊目(今年244冊目)

 

ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー
ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー 2
ワイルドサイドをほっつき歩け ハマータウンのおっさんたち
何とかならない時代の幸福論
女たちのポリティクス

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