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『わたしの三面鏡』 沢村貞子 250

わたしの三面鏡

沢村貞子(さわむら さだこ)

ちくま文庫

そう言えば、幼いころ、貧しいためにさんざん苦労して、そのおかげで成功したと語る人が、自分の子や孫だけはそんなめにあわせたくないと、甘やかし放題の人が多いのも腑に落ちない。社会のルールだけはキチンとしこんで、あとはその子の個性をのばしてやった方がよさそうなものなのに。p113

近ごろ、社会の進化に連れて、恥の中身が違ってきたのだろうか。私など、ときどきとまどってしまう。早い話がーー人間同士、差をつけるなど、とんでもない恥さらし、と思っているのに、立派な奥さまが、「うちのボクちゃん、やっとほかの子と差をつけることが出来ましたのよ」などと誇らしげなのはーーどういうことなのかしら。p141

 うちの子の成績がいいと、自分だけでほくそ笑んでいる分にはいいけれど、他所の人に触れ回るようになってしまうなんて嘆かわしいという気持ちは、とってもよくわかります。そうやって、自分だけよければいい、自分の家族だけよければいいというのは、人間としてどうなのかねぇ?というのが下町の人間の思いです。

そう言えば、人間が老いることも、初体験である。若いとき、知り合いの老人が畳のヘリにつまずいて足の骨を折ったと聞いて、なんてそそっかしい、と驚いたけれど、この間、自分がスリッパを脱ぎそこねてしきいにつまずき・・・なるほど、老化というのはこういうことか・・・とやっとわかった。p149

 この本が最初に出版されたのが1983年9月ですから、もう40年も前になるのですね。その頃、沢村さんは70代、気持ちと身体のバランスをとるのが難しいということが、若いころにはわからなかったのよねぇと、様々なところでおっしゃっています。

 歳をとったらそれなりな身体の使い方、いたわり方を考えないとね。無理はしちゃいけないけど甘やかしすぎてもいけない。その塩梅が難しいねという感じです。

 自分は年寄りだから、今時の人たちとは考え方が違うのかもしれないけど、昔の暮らしのいいところを伝えていきたいという気持ちが文章の端々から感じられます。体裁のいいことだけ言っていざとなったら逃げてしまうような人にはなりたくないから、余計なお節介かもしれないけど、困ったときはお互い様だからねという優しさを感じる沢村さんのエッセイは、本当にすてきです。

 

沢村さんの半生をとりあげたNHK朝の連続ドラマ「おていちゃん」(78年)では下町育ちのきっぱりとした生き方に多くのファンが共感した。一方で日々の暮らしを綴るエッセイも数多く発表。77年「私の浅草」で日本エッセイスト・クラブ賞受賞した。(書籍紹介 より)

 わたしが沢村さんをTVで見ていた頃、おばあさん役が多かったけど、そのキリっとした感じがとてもステキだったことを覚えています。戦前には新劇(新築地劇団)で活躍し、左翼演劇運動に加わって2度も逮捕されたことがある方ですから、平和に対する思いは一方ならぬところがある方だったのです。その後は映画女優となり350本以上の映画に出演されたそうです。

 沢村さんのように骨のある方が、今は少なくなってしまいましたね。世間的「エライ人」になっても私利私欲ばかりを追っている方々、沢村さんの爪の垢を煎じて飲んでもらいたいものです。といっても、もう沢村さんは故人ですから無理なんですねぇ

 この本のタイトルになっている「三面鏡」、着替えや化粧をして、横や後ろから自分の姿を確認するのに便利なものだったんですけど、最近すっかり見なくなってしまいました。自分を客観的に見直すという意味でこの「三面鏡」と言う言葉を選ばれたあたり、いかにも沢村さんらしいなと思うのです。

2551冊目(今年250冊目)

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