『思いがけず利他』 中島岳志 242
利他的なことを行っていても、動機づけが利己的であれば、「利己的」とみなされますし、逆に自分のために行っていたことが、自然と相手をケアすることにつながっていれば、それは「利他的」とみなされます。
「利他」と「利己」の複雑な関係を認識すると、途端に「利他」とは何かが、わからなくなってきます。(p104)
本当は良いことを行っていても「どうも、胡散臭い」と思われたら、それは良い評価を受けることはありません。たとえば、近頃「SDGs」を前面に押し出す企業が増えてきましたが、これをストレートに良いことだと受け止める人もいれば、「この会社、ホントにそんなこと考えてるの?」と懐疑的に捉える人もいるのです。
発信者にとって、利他は未来からやってくるものです。行為をなした時点では、それが利他なのか否かは、まだわかりません。大切なことは、その行為がポジティブに受け取られることであり、発信者を利他の主体にするのは、どこまでも、受け手の側であるということです。この意味において、私たちは利他的なことを行うことができません。
一方、受け手側にとっては、時制は反転します。「あのときの一言」のように、利他は過去からやってきます。当然ですよね。現在は、過去の未来だからです。
すると、私たちはあることに気づかされます。
それは「利他の発信者」が、場合によってはすでに亡くなっており、この世にはいないということです。(p132)
「学生時代に恩師から言われた一言が、わたしの人生を変えました」「あの映画を見て、外国へ行ってみたいと思いました。そして現在のパートナーと出会いました」というようなことが、様々なところで起きています。その時には気づかなかったけれど、後になってから、あれがキッカケだったのだと思い出すことがあるのです。もしかしたら、はっきりとは意識できていないかもしれないけど、人生の舵を切る原因となる言葉や出来事を誰かから与えられていることがたくさんあるはずです。
受け手が何十年も経ってから、自己の歩みと「あの時の一言」を因果の物語として捉えたとき、過去となった「今」に意味が与えられます。「あの時の一言」は、未来から「利他的な物」として認識され、私は利他の主体へと押し上げられます。(p168)
「あの時の一言」を発した人間にとって、それは特に意味のある言葉ではなかった可能性もあります。でも、その一言が誰かの未来を変える可能性があるのです。ずっと忘れていた一言が、ある日突然よみがえることだってあるんです。
「他力本願」とは、すべてを仏に委ねて、ゴロゴロしていればいいということではありません。大切なのは、自力の限りを尽くすこと。自力で頑張れるだけ頑張ってみると、私たちは必ず自己の能力の限界にぶつかります。そうして、自己の絶対的な無力に出会います。
重要なのはその瞬間です。有限なる人間には、どうすることもできない次元が存在する。そのことを深く認識したとき、「他力」が働くのです。そして、その瞬間、私たちは大切なものと邂逅し、「あっ!」と驚きます。これが偶然の瞬間です。(p176)
そうなのか、ジタバタすることも大事なのですね、そして自分の無力さを理解した時に、次の展開が「他力」によって開かれる。それこそが「他力本願」なのですね。「他力」こそが「利他」なのだと、そこに登場する人は、そんなことになるとは知らずに力を与えてくれる。運命とはそういうものなのですね。
この本の前半で引用されていた、落語「文七元結」に対する立川談志師匠の話(あなたも落語家になれる 現代落語論 其2)がとても気になりました。これも読んでみたいと思います。
2543冊目(今年242冊目)
・中島岳志氏の著作
インドの時代 豊かさと苦悩の幕開け
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