『あなたも落語家になれる 現代落語論 其2』 立川談志 274
お客様を笑わせるというのは手段であって、目的は別にあるのです。なかには笑わせることが目的だと思っている落語家もしますが、私にとって落語とは”人間の業”を肯定しているという所にあります。”人間の業”の肯定とは、非常に抽象的ないい方ですが、具体的にいいますと、人間、本当に眠くなると、”寝ちまうものなんだ”といっているのです。分別のある大の大人が若い娘に惚れ、メロメロになることもよくあるし、飲んではいけないと解っていながら酒を飲み、”これだけはしてはいけない”ということをやってしまうものが、人間なのであります。
こういうことを、八つぁん、熊さん、横丁の隠居さんに語らせているのが、落語なのであります。p17
六代目三遊亭円楽師匠が亡くなって、彼の死を惜しむ人たちの「毒舌には愛がなければいけないんだよ」って話をさんざ聞かされてね、あたしゃ考えたんだ。ちょっと待てよ、毒舌ったら談志師匠でしょ。円楽が楽太郎時代に「楽太、お前に俺の落語の財産を半分やります」なんて言ってくれた人だよ。人への愛はもちろんだけど、落語への愛がこれでもかってくらい込められた師匠の生きざまは、ちょっと痛い。いやいや、かなり痛い。
でもね、それくらい落語が好きなんだよ。こんなに素晴らしいものをすたれさせちゃイカンという愛だらけなんだ、談志師匠って人は。
大正・昭和の初期に受けまくった柳家三語楼、そして三語楼の弟子すじにあたる兵隊落語と新作の笑いの天才・柳家金語楼、戦後はあの純情詩集の三遊亭歌笑、お馴染みの林家三平、と続くのが爆笑王の系譜なのだが、その後の寄席からはこの人たちに続く芸人は出てこない。p36
落語家のスタイルは、いろいろあっていい。着物を着ていようが、洋服で通そうが、それは一向にかまわない。要するに、現代の落語家は、その生き様で勝負するのだということを忘れなければ、それでいい。そのように生きるには、心に狂気をふくみ、常に冒険に賭けていく、その精神が最も大切で、失敗をおそれていては、落語家の資格はない。p97
落語って、人間の愚かさとか、愛とかが根底にある話をする芸だから、技術的に上手くても、面白くない噺もあれば、技術的にはもう一つでも、なんだかわからないけど伝わってくる噺ってのもあるのが不思議なんです。
師匠から口移しで稽古をつけてもらうときに、小さん師匠がつまらない顔してしゃべってるんだけど、にも関わらずなんともいえない面白みがあったんだと談志師匠は語っています。ああいう、にじみ出るような味ってのは教わってできるってものじゃないし、努力してできるってものでもない。それは、その人が生まれながらに持っている資質というか、生き様とかが出てくるものなんだよね、だからそういう所は敵わないと思ったというんです。
ついでに書くと、私の議員生活を支え、一緒にやってきた仲間連中は、すべて落語の好きな人達であった。
石原慎太郎にいったことがある。”あなたの周りにいる取り巻きは、あなたを偉いと思っているのはいるだろうが、あなたの文学を理解している奴はいないんじゃないかな。私のところにくる奴ァ、あなたにいわせると程度は低いかもしれないが、みんな落語が好きだョ・・・”と。p274
あなたの周りにいる人は政治家としてのあなたについてきているだけで、文学者としてのあなたのことなんか評価していないって、正面切って石原慎太郎に言えちゃうのがいいなぁ。こんなことを言われた石原さんはどんな顔をしたんだろう?
今は、テープもあるし、それを聴いて覚えることも許されている。私は弟子に、稽古する落語を録音させ、それを持って帰らせ、何度リフレインしてもいいと言ってある。別に一回しかリフレインは許さないといってるわけじゃない。
それなのに、ああそれなのに、それなのに、である。この弟子どもは、志の輔をのぞいてあとの七人の前座は、落語を覚えようとしない。落語の勉強をしないのだ。p284
当時前座だった志の輔さんは必死だったのでしょうね。それをちゃんと師匠は見ている。だからこそ、今の志の輔さんがいるのでしょうね。
最期にひと言。
落語とは、”人間の業の肯定”と言ってきたが、それは”業”を克服するという人間の心掛けがあってはじめて成り立つものである。本来それが人間の生き方の基本であったのが、この頃では生き方への努力、つまり”業”の克服への努力が少なくなってきた現在、科学文明の進歩は、人間になるべく辛いこと苦しいことをさせないように、便利に便利により多くより速くににと進んできた。科学文明が進めば進むほど、”業”を克服する必要もなくなり、したがって”業”の肯定も、うけなくなる危険も出てきた。それなら、いっそのこと、もっとすごい怠惰でも演ってみるか。p338
この本が書かれた1985年の段階で、世の中が変わっていくのに落語はついて行けないんじゃないかということを、談志師匠は心配していたんです。
でもね師匠、世間では「業の肯定」ってのがいいことなんだよって世の中になりつつあるんですよ。師匠の理想とは違う方向かもしれないけど、落語はなくなりません。だって、人間はいつだって愚かで、嘘つきで、都合のいい事ばっかり夢見ているんだから。
思いがけず利他で紹介されていたこの本、読んでよかった~!
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