『オリンピア・キュクロス 1』 ヤマザキマリ 72
古代ギリシャ時代「壺絵師見習い」の青年デメトリオスは小さな村に住んでいました。そこへ大きな村の人がやってきて、この村を吸収合併するというのです。それを阻止するには、何かしらの勝負をして、それに勝たなければならないのです。その選手として抜擢されてしまったデメトリオスは悩みます。「戦いが嫌いな自分がなぜそんな立場に立たなければならないのだ?」
大きな壺の中で悩んでいた彼は、突然タイムスリップしてしまいます。行先は、1964年の東京オリンピック直前の東京だったのです。
戦争をする代わりに競技会を行うというのがオリンピックの起源ですけど、結局は強いものが勝つという構図は変わらないのです。努力を重ね、速く走れるようになったり、技をたくさん覚えたりというところを称賛されるのでは、スポーツも戦争も変わりないじゃないかと、デメトリオスは考えたのです。
それよりも、町内の運動会のパン食い競争のような、楽しい要素があるものの方に心惹かれていく、デメトリオスなのです。
日本でも馴染みのある「アリとキリギリス」のお話は、古代ギリシャ人の作家イソップの創作です。本来はキリギリスでなくセミなのですが、日本で広まっているのとは全く反対のお話として古代ギリシャでは語られていました。つまり「アリのようにあくせく働いたところで何が人生の得だというのか。セミのように高らかに音楽を愛でて人生の夏を謳歌せよ」という概念のものだったというのです。「経済の貪欲さ」に巻き込まれるな、金があれば人生が楽しめるというわけではない」という考えがここにもあります。(壺とオリンピックと私 より)
イソップって、古代ギリシャ人だったということを初めて知りました!「アリとキリギリス」はアリが偉いという教訓のお話だと思ってましたけど、実は逆だったというのは目から鱗です!
そうか、それ以降の人が、労働者を鼓舞するにはアリが偉いという話にする必然性があったのですね。でも、今の世界を眺めてみると、キリギリスの方が自由でいいじゃないかという解釈の方が、人間らしく生きて行けそうな気がします。
デメトリオスは日本の文化に触れて、いろんなことを学んでいくのですが、逆に日本人の方がそういう良さを忘れてしまっているのは何故なのでしょうね?
高度成長という夢に向かうためには邪魔なものだと考えてしまったのだとしたら、とても残念なことです。
第一話 運動会
第二話 納涼オリンピック盆踊り
第三話 マラソン
第四話 円谷幸吉
円谷選手は日本中の期待に押しつぶされてしまいました。アベベも英雄になったけど、その後の事を知るとけっこう悲しい話になってしまいます。
スポーツは素晴らしいものであると同時に、人の運命を変えてしまうものでもあるのです。
スポーツに対する熱狂の功罪は、いろいろとあるなぁと考えさせられました。
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