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『速攻管理学』 九重勝昭 146

速攻管理学

九重勝昭(ここのえ かつあき)

日之出出版

 この本が出版されたのは35年前の1988年。当時の九重部屋には千代の富士(第58代横綱、第13代九重親方)と北勝海(ほくとうみ、第61代横綱、第13代日本相撲協会理事長 八角親方 )という2人の横綱がいました。この2人を育てた親方として九重親方(第52代横綱 北の富士)は当時大変な脚光を浴びていました。

 どのようにしてこの2人を育てたのかという質問に対して、九重親方は、それぞれの性格に合わせた指導をしていたと話しています。北勝海は親方のどんな話も素直に聞くタイプで手がかからなかった。一方、千代の富士には「なにくそ」と思わせるような指導をしていたそうです。

 そして、実際に北勝海を指導していたのは千代の富士で、2人の相性がよっぽど良かったのだろう、自分は時々意見をするくらいで、2人は自主的に稽古をしっかりとしていたというのです。

 

 この本の後半は九重親方自身の話になっていくのですが、これが波乱万丈で面白いのです。第41代横綱の千代の山が独立して九重部屋を創設した時について行ったこと。そもそも千代の山を慕って入門したこと。玉乃島と北の富士の2横綱であった時代に、親友でもあった玉乃島が盲腸で急死してしまったことを、悔しいと語っているのが印象的でした。

 この本が書かれた当時に親方が危惧していた力士たちの問題が、少しずつ形を変えながらも、いまだに残っているんだということがよくわかります。

 それまでの各界の常識を破り続けてきた九重親方(北の富士)は、相撲協会を早期退職され、部屋を千代の富士に託しました。60歳の時の還暦土俵入りの時、日本相撲協会に所属していなかったので国技館を使わせてもらえなかったという話には、相撲協会の了見の狭さにビックリ!

 現在はNHKの相撲放送の解説で時々出演されていますが、そのノビノビとした語り口はとても楽しくて、やっぱり北の富士さんって思ってしまいます。これからもお元気で、解説を続けていただきたいと思います。

2808冊目(今年146冊目)

追記:土俵下で待っている力士が使っている二つ折りの座布団(場所座布団)を提案したのは北の富士関だったんですって!

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