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『吉原十二月』 松井今朝子 238

吉原十二月(よしわらじゅうにつき)

松井今朝子(まつい けさこ)

幻冬舎時代小説文庫

 おとなしそうでいて多芸に秀で、頭の回転もよい「小夜衣」と、負けず嫌いで気風の良い粋な「胡蝶」のふたりは、舞鶴屋の花魁として人気がありました。きれいな着物を着て、美しい調度に囲まれ、一見これ以上の暮らしはないと見えても、実は籠の鳥。

 桃の節句、月見など、毎月のようにイベントがあるので、お馴染みさんに来てもらえるようにお願いしたり、新しい着物をおねだりしたり、おだてたり透かしたりするのも芸の内。

 花魁というスターでいられるのは、せいぜい25まで、元々借金を背負っているから、それを払い終えて年季明けできたり、身請けしてもらったりできるのは運に恵まれた人だけ。病気などで若くして亡くなる子が多い中で、彼女たちはしたたかに生きています。

 

 吉原にやって来る男たちの中でも、花魁に会うことができるのは、よっぽどのお大尽とその周りの人だけです。だから、このお座敷に呼ぶということは接待や賄賂ということにもなるのです。それが最後の話に登場します。

 この本で初めて知ったのですが、相対死(男女の心中)というのは、江戸時代の吉宗将軍の時代からはお咎めの対象だったのです。
 「心中しようとしたが死にきれず2人とも生き残った場合は、日本橋で三日間さらして、被差別民である非人身分に落とす」という実に重い刑だったのです。それくらい「相対死」が流行ったということなのでしょうね。

 

 ここ吉原にやって来る女の子たちは、親がいないか、いても貧しくて売られてきた子ばかりです。ここでしか生きられない運命だけど、必死に生きている子たち、その中から花魁まで出世できても、一生安泰というわけでもありません。そんな運命を必死に生きたふたりの生き様は、実に見事でした。

2900冊目(今年238冊目)

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