『吾が住み処ここより外になし 田野畑村元開拓保健婦のあゆみ』 岩見ヒサ 256
子どもの頃、ヒサさんは学校の先生になりたいと思い、師範学校へ進学したいと希望していました。でも義伯父の「産婆になった方がいい」という言葉で運命が決まってしまったのです。昭和7年(1932年)看護婦養成所で2年学び、更に助産婦養成所で学び、看護婦と助産婦の資格を得たのです。
縁あって岩手県田野畑村の開拓地の保健指導をする「保健婦」となったヒサさんは、地域の方たちの衛生指導をし、助産婦をし、ときには人生相談をしたのです。開拓地は陸の孤島と言われるような場所で、徒歩で片道3時間もかかるような場所もありました。隣の家まで行くにも何時間もかかるような土地で暮らす人たちは、それまでは子供を産むにも助産婦もおらず、育児の相談はおろか、子供の成長を記録するということすら知らなかったのです。
年子で何人もの子どもがいる家が多く、開墾や田畑の仕事もあり忙しい母親たちは、1歳を過ぎても離乳食を与えることを知らず、赤ん坊をかごに寝かせておくだけの育て方で、成長が伸び悩んでいることをヒサさんが指摘するまで知らなかった人も多かったのです。
病気や怪我などをしても診てくれる人がいない地域をヒサさんは精力的に廻り、治療をしたり、病気に対する知識を伝えたり、とにかく自分にできることなら何でもしてきたのです。
開拓保健婦から保健所保健婦となり、定年を迎えられました。その後は、老後のゆったりした時間を過ごそうと思われていたようなのですが、原発が田野畑村にできるかもしれないという話を聞いて、ヒサさんはまた活躍します。
原発が来ることによって村にお金が落ちるという原発推進派の人たちに対して、そんなことを絶対にしてはいけないと考えたヒサさんは原発の勉強をして、それを村の人たちに伝えていきます。
原発でお金が入れば若者が村に残るようになるという推進派に対して、ヒサさんたちは漁業や農業をできなくなったらどっちみち人はいなくなる。原発によってふるさとを失う方が痛手は大きいと主張したのです。そして、この村に原発が作られることはありませんでした。
これもまた、地元の人たちの健康と命を救う活動の一環であるとヒサさんは考えたのでしょう。そういうことを考えずに原発を受け入れてしまった地域のその後を見ると、田野畑村の選択は正しかったということがよくわかります。
この本は「まちの本屋」で紹介されていた本です。医者も救急車も、そもそも車が走れる道路もない場所で、こんなにも必死に活動をされていた方がいたからこそ、田野畑村の方々は安心して暮らしてこられたのです。
2015年に98歳で亡くなられた岩見ヒサさんの生涯は、実に波乱万丈だけれど、ご本人はきっと淡々と生きてらしたのでしょうね。凄い方の人生を知ることができました。
2918冊目(今年256冊目)
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