『江戸のフリーランス図鑑』 飯田泰子 272
江戸時代に商店というのは存在していましたけれど、そこに買い物に来る人というのはごく限られた人で、そこの商品を担いで町で売り歩くというのが普通のことでした。もちろん店など持たずに行商だけの人が大勢いたし、街角で占いをしたり、芸を見せたりという人たちもいました。
蕎麦屋さんや、寿司屋さんなどのファーストフードもあれば、籠や算盤を売ったり直したりする人もいます。生活に必要なものや、娯楽として欲しいもののほとんどを、荷物を担いだ人が商っていたのです。
わたしが生まれ育ったのは東京の下町なので、子どもの頃にはそういう行商の人たちがまだいました。「おなべに、やかんに、こうもりがさ」という掛け声で町を歩く「鋳掛屋」さんにお鍋の穴を継いでもらったり、包丁やハサミを研ぐ「研ぎ屋さん」にもよくお世話になっていました。総武線に乗ると、千葉から野菜や魚を担いでやってくる「担ぎ屋」のおばさんたちの荷物の大きさにビックリしたものです。
豆腐屋さん、酒屋さん、クリーニング屋さんなどは毎日自転車とリヤカーで町を廻っていました。
それとこれは戦後に生まれた商売でしょうけど、氷屋さんがリヤカーに氷を積んで、近所の飲み屋さんの前でノコギリで切って、小分けにして売っているのを毎日のように見ていました。夏の暑い日には、氷を切るときに出るしぶきを浴びるのを楽しみに、近所の子が集まっていました。
この本で紹介されている商売の中には、今では無くなってしまったものもあるけれど、今でも続いているものもかなりあります。小売店になったり、デパートになったり、ショッピングモールになったり、通販やケータリングに姿を変えてしまったものもあります。
いろんな商売の絵を見ていると、こういう人たちが歩いていた江戸の町って魅力的だったんだろうなぁって妄想が膨らみます。
江戸有数の盛り場「両国広小路」は橋の西詰だが、向両国(むこうりょうごく)と呼ばれた東側も繁華な地。大相撲は向両国の回向院や深川八幡、蔵前八幡の境内で行われ、工業は十日間、観客は男衆限定 P158
今は東側だけが両国と呼ばれていますけど、江戸時代には西側の方が栄えていたのです。日本橋バビロンに書かれていた両国という地名の変遷の話を思い出しました。
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