『吼えろ道真』 澤田瞳子 328
菅原道真が、大宰府に流されて五カ月。左遷に怒り泣き喚いていた道真も、身分をやつして博多津に出かけ、唐物の目利きをする愉しみを覚えた。ある日、京から唐物使の役人が来る。昨年朝廷に献上された品に不審な点があったため内偵中という。調べの間、道真は館に閉じ込めとなり。(書籍紹介より)
葛根は子どもの頃からずっと世話になっている叔父の小野葛絃の為を思い、様々な働きをしてきました。とはいえ、彼の息子たちが大宰府にやって来るのは煩わしいのです。子どもの相手をするのはイヤだからなんて言ってますけど、実は自分がないがしろにされるのではないかという思いがあるようなのです。
葛絃の息子の阿紀は、将来は書で身を立てたいと思っています。たまたま見た道真さんの書に驚き、このようなすばらしい書を書かれる方に弟子入りしたいと言い出します。最初は反対していた葛根ですけど、阿紀の熱意に負けてしまいます。そして、のちに阿紀は「小野道風」となるのです。
思うようにならないことばかりの葛根を道真さんは諭すのです。自分が誰かのためにと思ってやっていることが、じつは大きなお世話かもしれないし、単なる自己満足でではないのかと。今まで考えたこともない自分の心の内を見事に言い当てられてしまった葛根は、これまでの考えを改めてみようと思ったのです。
どれだけ仲のいい相手や親族であろうとも、自分以外の者は結局は他人。己の意志をすべて押し付けられるものではない。そう思って診まわせば、この世とは結局、赤の他人同士が折り合いを付け、小さな衝突を繰り返し続ける場。それにもかかわらず、阿紀を自分の理解のままに押し込めようなぞ、僭越極まりない行為でしかないのだ。
調査のために京からやって来た役人の、この事件の落としどころに関する話を聞いて、葛根は自分の考えとは違うことに驚きます。今までの彼なら、それでいいのか?真実をつきつめなくていいのか?と突き詰めるところでしたけど、それだけではないということが少しわかってきたのです。それもまた、道真さんのおかげでした。
道真さん、今回も一度大暴れしてしまいました、確かにかなり失礼なことを書かれてますからね。でも、それだけで終わらないところが道真さんの凄さです。市井の人たちを見もしないで、この地を収めていると思っている役人たちを冷ややかな目で見、人との関わりによってしかわからないことがあるのだということなど、葛根に優しく諭してくれるあたり、やはりただ者ではありませんね。
2990冊目(今年328冊目)
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