『少女マンガはどこからきたの?』 水野英子 ほか 359
少女マンガの「黄金期」は1970年代といわれているが、それまでの作家や作品の記録は多く残されていない。1953年に手塚治虫が描いた「リボンの騎士」から1972年に池田理代子が「ベルサイユのばら」を描くまでのあいだ、少女マンガというジャンルはいかに開拓されてきたのか。少女マンガ界の先駆者たちに、少女向け雑誌の編集者や貸本マンガの関係者も加え50-60年代の少女マンガを語り尽くす。
水野英子、上田トシコ、むれあきこ、わたなべまさこ、巴里夫、高橋真琴、今村洋子、ちばてつや、牧美也子、望月あきら、花村えい子、北島洋子(著者)
ヤマダトモコ、増田のぞみ、小西優里、想田四(編集者)
この本の中で取り上げられている本を眺めていると、少女マンガのテーマとして母子もの、恋愛ものなどが多いのは当然なのですが、バレエものが多いのにビックリしてしまいました。マンガを描いていた人たちはバレエなど見たこともない人ばかりで、今のように動画があるわけでもなく、バレエの写真を入手して、それを元に書いていた、つまり細かいことは想像力で補っていたんですね。マンガを描いている人も読んでいる人も、良くわからないままに憧れていたという時代だったのでしょう。でも、そんな夢見る少女の中から、森下洋子さんのような素晴らしいバレリーナも生まれたというのは、実に凄いことです。
わたしが少女マンガを読んでいたのは1970年ころですから、この本の中で対談されている先生方はだいたいわかります。でも、一番印象的だったのは楳図かずおさんで、「へび女」とか「黒いねこ面」とか怖くて好きだったなぁ。この本では取り上げられていないのが残念です。
貸本時代のお話はとても興味深かったです。マンガばかりと思われているけど、実は小説や雑誌も貸していて、その中には「ドレスメーキング」などもあったなんて、知らなかったわぁ。当時は家で服を縫うのが普通だったので、そういう需要もあったんでしょうね。
マンガ家のみなさんがどういうきっかけで書き始めたのかとか、少女漫画の女の子の目に星が入るようになったのはいつからかなんて話をしていると、どの項目でも手塚治虫先生の名前が出てくるのには驚くばかりです。あらゆる意味で手塚先生は日本のマンガ界の中心にいた方なのだと再確認してしまいました。
今やマンガは世界中で読まれるようになりました。マンガで日本語を覚えたという人も大勢います。世界中の人がマンガを通じて、心を通わせられる時代になったのかなぁ。だとしたらとても嬉しいな。
3021冊目(今年359冊目)
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