『ギフテッドの光と影』 阿部朋美、伊藤和行 24-19
22年の文科省の調査では、全国の公立小中学校の通常学級に通う児童生徒の8.8%に発達障害の可能性があると報告されている。
一方、ギフテッドは、近年ようやく認知されるようになった。そもそも「障害」ではないため、医療の対象にはなりにくい。正式な診断名があるわけではなく、どれくらいいるのかもはっきり分からない。だから、見過ごされている。
学校の授業について行けない子をなんとかしよう、ということは様々な人たちが尽力されているし、一般の人からも理解しやすいことですが、逆に「知能が高すぎて」学校生活を苦にしてしまうということは、これまでほとんど問題にされてきませんでした。
授業中にウロウロしていたリ、他の本を読んでいたリして、もしかして学習障害?という疑いがあり、病院で調べてもらったら、実はIQが異常に高くて、授業の内容が簡単すぎて退屈し、他のことをしていたのだと判明した人もいます。
外国では「飛び級」というのがあって、頭のいい子は10歳でも大学生になれるんだよという話は聞いたことがあっても、日本ではそんなシステムはありません。ですから、「学校の授業が簡単すぎるので、学校へ行きたくない」という子どもたちの受け皿はないのです。
難聴者だけど普通学級へ通っていたIQが高い人の話では、先生のことばは余り聞き取れなかったけど、教科書を読んでいれば授業の内容は理解できたそうです。授業について行くためには教科書の少し先を読んでおく必要があるので、先のページを開いていたら、理由も聞かないで、みんなと同じページを開きなさいと先生に怒られたという話がありました。
理由は違うけど、ときどき教科書の先のページを読んでいたわたしとしては、こういうことをする先生って許せないと思うのです。こんな態度に我慢しなければならない子どものことって、もっと知られていいと思うのです。
これ以外にも、教科書を一度読むだけで全部覚えてしまうから、授業中は他の本を読んでいたとか、そもそも学校へ行く意味がなくなってしまったとか、様々なつらい話が続きます。
わたしの友だちの中にもギフテッドかもしれないと思える人が何人もいます。
中学校の同級生で、数学の授業中ずっと後ろを向いてしゃべっていた子がいました。それに気づいた先生がその子に黒板に書かれた問題を解きなさいといったのです。振り向いたその子は黒板を見て瞬時にスラスラと答えました。
高校の同級生で、事情があって半分くらいしか出席できない子がいましたが、友達のノートを借りて勉強し、日本史の試験は100点でした。
そういう人が、世の中にはかなりいるはずなのですが、気づかれないんですよねぇ。
戦時中に行われていた日本のエリート教育
科学教育に力を入れ、当時「敵性語」とされていた英語教育も行っていた「特別科学教育学級」のこともこの本に書かれていました。ここに伊丹十三さんが選抜されていたというのは有名な話です。この教育のおかげで英語が話せた伊丹さんは、海外で俳優として活躍していた時期もありました。
こういう教育スタイルは、今だからこそ復活してもいいような気もするのですが、「みんな平等」を目指す日本では無理なのでしょうか。でき過ぎてはじき出されてしまう人だっているということを無視してていいのかなぁ?
3045冊目(今年19冊目)
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