『なぜ本を踏んではいけないのか』 齋藤孝 24-48
昔の人は「畳の縁を足で踏むな」「枕を足で踏むな」などと子どもに諭した。一般的に、物を踏むという行為は、そのものを大切にしていない、ぞんざいに扱ってもかまわないという気持ちの表れとされる。しかし、本を踏んではいけない理由にはもっと深いものがある。
本には著者の命と尊厳が込められている。著者そのものがそこに生きているようなものなので、本を踏むことは、著者の人格を踏みにじるに等しい行為なのである。P12
本自体は、単純に考えれば紙でできた工業製品です。でも、誰かが書いた本の中にはその人が残したいと思ったこと、それは記録だったり、思想だったり、物語だったり、そういう物が収められているのです。ですから丁寧に扱わなければならないのです。
そういえば、子どもの頃に「枕を踏んではいけない」というテーマの楳図かずおさんのマンガを読んだことを思い出しました。タイトルは覚えてませんけど、それはそれは怖いお話でした(笑)
「なぜ本を踏んではいけないのか」、それは権力者が支配している目の前の世界をたった一冊の本が変える力があるからである。恐るべし本の力である。だから本は踏めないし、逆に踏ませようと思う(燃やそうと思う)人もいるのである。P39
本の中に書かれている知識や事実が多くの人に広まることを恐れるからなのでしょうか、権力者はしばしば焚書を行ってきました。焚書と言えば「1984年」のことを思い出しますが、権力者がそういう愚かな行為に走るのも、本の力を知っているが故なのでしょうか。
口語の場合、だいたい200~300語で足り、多くても500語くらいあると日常の要はほぼ足せる。しかし、辞書に載っている言葉はそれよりはるかに多い。活字だけで表されている言葉あるので、それを読むことによって語彙が豊富になり、やりとりも正確になる。そして、思考も緻密になる。P154
本を読むということは、言葉を知るということでもあります。これまで知らなかった言葉から新しい世界が広がります。新しい知識に興味が湧きます。自分の家で座っていても、本さえあれば外の世界とつながることができるのです。
本から得る知識は、今の自分にとってすぐに役に立つものではないかもしれません。でも、10年後に思い出すかもしれないし、もしかしたら、同じ本を読んだ誰かと巡り合えるかもしれません。
だから、今日も明日も本を読もうと思うのです。
序章 なぜ本を踏んではいけないのか
第一章 なぜ本は存在するのか
第二章 本を味わい尽くすには
第三章 人格読書法で得られる境地とは
第四章 齋藤流読書案内
おわりに
【付】とりわけ踏んではいけない本155
3074冊目(今年48冊目)
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