『句点。に気をつけろ』 尹雄大 24-100
コミュニケーションで良しとされているのは句点「。」で言い切る、収まりのよい滑らかな言葉。でも、それって本当に自分の言葉ですか?(書籍紹介 より)
こんなことを言って、相手をイヤな気持ちにさせてしまうんじゃないかと心配して、当たりさわりのないことしか言えなかったり、変なことを言ってしまわないように黙ってしまったり、自分の考えを言葉にするのが難しいという人が昔よりも増えたような気がします。
変なことを言ってしまって嫌われたくないと思う段階で、その人は親しい関係が築けていないということなんじゃないかな?もし、イヤなことを言われても、「そういうことは言わないで欲しい」と言えれば済むだけの話なんだから。
自分の生き死にに関わる危機が訪れた時、整然となんか話せなくなる。おろおろする。言葉を失う。自分でも何が言いたいかわからない。でも何か言わずにはいられなくなる。くどくどしい言い方しかできない。もっと言えば、回りくどい言い方がもっともそのときに相応しい話法だったりする。だとしたら、そういうくどさを何一つ省みることなく、ノイズだと削除して「私ならそんな言い方はしないけど」とつるりとした顔で済ませていいものだろうか。p74
滑らかに話ができるというのは1つの技術だけど、その話の中にウソが混ざっていることだってある。いや、ウソだからこそペラペラしゃべれるのかもしれない。本当のことだからこそ、たどたどしかったり、変な間があったりしてしまうんじゃないかな。
相手の話し方がヘタだからと言って「ダメ」というのは、その話を聞いている人の都合なのであって、相手の話の真意など気にしていないからなのかもしれない。
自己卑下は傲慢の裏返しだと気づいたとき、冷や汗が出た。
どうしてそんなに自分のことをダメだと卑下したがるんだろう?親からそう言われてきたから?友達から評価されてこなかったから?自分が嫌いだから?
「どうせ、わたしなんか」と思うとき、それは相手にわかってもらえないというフリをした「わたしのことを、あなたにわかるはずがない」という傲慢さと考えると、何だか腑に落ちる。そうやって、自分は被害者なんだって、自分は可愛そうなんだって、思いたいだけなんだよね。本当は自分のことを好きだから。
相手に伝わるように話そうと努力することは大事かもしれないけど、それだけじゃないんだな。相手に伝わろうがどうだろうが、話したいことを話すっていうことを否定しちゃいけないんだ。わたしはこう思うから、こう話す。それでいいんじゃないかな。
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