『補欠廃止論』 セルジオ越後 24-242-3268
図書館で見つけたこの本、タイトルに引き寄せられたような気がします。日本の学校の運動部で当たり前に考えられている「補欠」。セルジオさん曰く、ブラジルに補欠というものはないのです。そもそも、学校でスポーツをするというシステムではなく、サッカーなどはクラブチームでやるものなのだそうです。クラブチームですから、誰でも入れるというものではなく、入った後も、それなりなレベルでなければやめるしかない。そういうものなのだそうです。
日本の部活で「補欠」が存在してしまうのは、誰でも入部できること、上手くなくても辞めさせられることはない。なおかつ、下手でも続けることに意義があるという考え方があるからなのです。
「補欠」は団体競技だからこそ生まれる立場なのですが、試合のときに交代要員としてベンチに入れる補欠ならいいのです。問題はベンチにも入れない「補欠」で終わってしまう子が大勢いるということです。それは異常なことだとセルジオさんは指摘されています。
そして、日本では1つのスポーツしかやったことがない人が多いのも問題だとおっしゃっています。例えば、夏には野球、冬にはサッカーというように、複数の種目をする環境がないのです。種目が違えば身体の使い方も違います。その違いが何かを感じること、違う人たちと交流することも大事なはずです。
わたし自身、中学校のバレーボール部で「補欠」でした。3年間で試合に出たのはトータルで10分くらい。バレーボールは上手くならなかったけど、毎日走ったり筋トレしたりしたのは役に立ったと思います。でも高校では絶対に続けないと決めていました。
高校ではブラスバンド部に入りました。上手くても、そうでなくても、1年生から3年生まで一緒に活動できる、補欠がいない部活はとても楽しかったです。
セルジオさんが指摘された「補欠」だけでなく、日本のスポーツ界はどうも考え方がおかしいところが多いのです。いまだに根性論がはびこっているし、指導者や競技団体の上層部は男ばかり。スポーツを取り巻くマスコミは、選手たちをアイドル扱いすることしか知らないし。
せっかくのオリンピックも、人気がある種目で、日本人が出場している試合しか放送しません。ですから、馬術が良い成績を収めても「いつ放送したの?」って感じでしたよね。
スポーツを自分でやることも、観戦することも、どちらも楽しいことなのに、それを目指していない日本って何なんだろう?
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