『終戦日記一九四五』 エーリヒ・ケストナー 24-285-3311
ケストナーは1933年、ナチが政権を掌握したあと作家活動を禁止され、著書は焚書の憂き目にあった。多くの友人知人が亡命していく中、あえてケストナーはドイツにとどまった。
ケストナーの本が焚書って想像できますか?さすがに児童文学は焚書対象から外れましたが、それ以外は燃やされました。「自分はドイツ人である」という誇りから、亡命を拒み続けて偽名で脚本などを書き続け、スイスの出版社から出版していたというのですから、その意志の強さは恐るべきです。
最初こそドイツはヨーロッパ中にどんどん進行していきましたが、少しずつ形勢が悪化し、ベルリンにこれ以上いては危険だという状況になってしまいました。そんなときに、映画の脚本を書くという建前でオーストリアのチロル地方へ行こうと誘ってくれた友人がいたのです。ロッテとともに映画撮影隊の一行としてのチロルでの生活が始まります。
私的な日記とはいえ、いつ軍の眼に触れるかわからないので、具体的な名称は書かれていない部分もたくさんあります。でも、日常のこと、特に食料事情が悪いこととか、当時はドイツに併合されていたオーストリアの人たちのドイツに対する感情とか、戦況に関する絶望感とか、なんとも言えない感じが書き綴られています。
そして、遠くで暮らす母親にしばしば手紙を書いていていたのも印象的でした。
布告のひとつは、灯火管制の即時解除だった。これには拍手喝采だ。日が暮れると、いたるところのこの布告が遵守された。窓に灯りがともったのだ!
第二の布告も順守された。オーストリアの色、すなわち赤白赤の旗か、チロルの色、すなわち赤白の旗を掲げる用意という指示だったからだ。
ドイツ(ナチ)軍が降伏し、町に自由が戻ってきました。ケストナーは一刻も早くベルリンに戻りたいのです。時間はかかりましたが、友人の助けもあって、無事ベルリンへ帰ることができたのです。
ナチスがモダンアートなどを「退廃芸術」として排除していたのは有名な話ですが、「ブルジョア」「腐敗した外国の影響」を持つものから、「<障害者と戦争反対者を支持し、産業労働者の社会的地位や女性の投票権を改善させたヘレン・ケラーの著書」など、ナチズムの思想に合わないと考えた書物を焚書したことも、もっと多くの人に知られていいことだと思います。
そんな弾圧を受けながらも、生き残ったケストナーの日記は、読んでいてつらい所もあるけれど、彼の強さをヒシヒシと感じるものでした。
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