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『力道山未亡人』 細田昌志 24-361-3387

Rikidouzan

力道山未亡人

細田昌志(ほそだ まさし)

小学館

 1963年12月8日、力道山は赤坂のラテンクォーターで刺され、15日に虎の門病院で亡くなりました。享年39歳でした。結婚式からわずか半年で未亡人になってしまった敬子さん22歳。力道山から引き継いだのは、膨大な借財と、日本プロレスやリキエンタープライズなどのリキグループの社長業でした。

 結婚前は日本航空のスチュワーデスとして世界を飛び回っていた敬子さん。後年「塀の中の懲りない面々」で有名になった安部譲二が同期入社だったそうで、こういう不思議な縁が、様々なところで登場してきます。

 力道山の十三回忌追善合同大試合が1975年12月11日に行われたのですが、この時にアントニオ猪木は同日に自分の試合が決まっていて、参加できなかったということでひと悶着があったのです。

12月10日 全国私立幼稚園PTA連合会
  11日 力道山十三回忌追善合同大試合
  12日 設営日
  13日、14日 オール家具超特価市
  15日 Deep Purple コンサート
  16日 全国剣道連盟稽古会
  17日 西城秀樹コンサート

 命日の15日に行えば問題はなかったのですが、武道館がいかに人気のある会場なのかということを主催者側がわかっていなかったのでしょうね、3か月前の予約ではこの日しか取れなかったのです。

 15日は Deep Purple のコンサートだったとはねぇ! 思わずニヤニヤしてしまいました。

 

 政治家や暴力団との関係、権力争い、借金返済、家族争議など、波乱万丈な人生を歩まれてきた敬子さんは、現在83歳。プロレスショップ「闘魂SHOP 水道橋店」で、今も週に2回働いてらっしゃるとか。小学校6年生の時に健康優良児に選ばれた敬子さん、これからもお元気で!

3387冊目(今年361冊目)

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