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『江戸の貧民』 塩見鮮一郎 25-13-3409

Edonohinmin

江戸の貧民

塩見鮮一郎(しおみ せんいちろう)

文春新書 992

 学校で教わった江戸時代の身分制度「士農工商・穢多非人」。士農工商はすぐに分かるけれど、穢多非人に関しては、それより下という認識しかありませんでした。この本を読んで分かってきたのは、「穢多(えた)」には、かつて下級武士が担っていた仕事も含まれるということです。

 

処刑の実行隊を武士身分から切り離した。自分たちの外に穢れた者をつくり出すことで、武士は穢れていないという詐術を行った。穢多というか非人というか、まだ未分化の身分は、武士階級の誕生にすこしおくれて制度化される。P48

 罪人の処刑、その死体を片付ける、死牛馬の処理、などが穢多の仕事になりました。武家社会の必需品である皮を加工する人たちをその身分にしたのは、普通の仕事とは別物という扱いをして、利権を守るという意味もあったようです。それにしても、穢れが多いから「穢多」という名付け方は酷いですよね。

 非人の主な生業は「物乞い」で、村や町の番人や、乞食、芸能、清掃に携っていました。なお、「物乞い」は非人にしか許されていなかったそうです。

 

「勧進」には仏の教えを勧めるという語の本来の意味がふくまれている。なかなか便利な言葉なので、誰もかれもが使用する。乞食もまた金銭を求めることを「勧進」と言い出し、自身のこともまた「勧進」と呼ぶようになる。P96

 「托鉢」も勧進(かんじん)であり、乞食が物乞いをするのも勧進、仏教における「施す」という行為は、貧しい者を生かす為のものです。今でも「勧進相撲」とか、「勧進興行」という言葉は生きています。人々を楽しませて施しを受ける(お金を頂く)のが芸能の立ち位置だったわけです。歌舞伎役者はその人気ゆえに、18世紀ころから町人程度の身分になってますけど、元々は「河原乞食」ですからねぇ。蛇足ですけど、歌舞伎十八番の「勧進帳」とは、寄付を集めるのに使う帳面のことです 。

 

 普通の人々が嫌がる仕事を誰かにやってもらうために設定された「穢多非人」。でも、こういう仕事は社会を回すために絶対に必要なものです。なのに、不浄なもの、穢れたものという蔑んだ扱いをしていました。昔は伝染病などに対する警戒心から、清潔であることに神経質になっていたのでしょうけど、それを処理する人たちを人間扱いしていなかったのは、とんでもないご都合主義です。

 現代になって名称は変わっても、穢れた人たちという差別はまだ残っています。「差別のない社会」を目指す今、その根源はどこにあるのかを知るのは大事なことです。

大福帳などの墨文字を山谷掘の水で洗ったので、そこの橋に「紙洗橋(かみあらいばし)」という名がついた。付着していた汚れを落とすと、紙を水に浸けてふやけるまでの間、ひまつぶしに吉原を散歩してくるのが「冷やかし」の語源になった。妓楼にあがる時間のカネもない。女たちをながめて、紙が「ひやけた」ころ作業場に戻る。棒で叩き、水を加えてかき混ぜ、簀で漉き、板に貼って天日で乾かす。「浅草紙」というブランド名がつくが、四角いそまつな便所紙で、96枚で一束だ。

 昔使っていた「ちり紙」とか「落とし紙」の原型がこれですね。江戸時代、たいていのものは直して再利用していたので、町にゴミがほとんどなかったといいます。今よりもリサイクル意識が高かった江戸時代を支えていたのが穢多非人だったのではと思うのです。

3409冊目(今年13冊目)

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