『幻肢痛日記』 青木彬 25-31-3427
12歳の時に右足に骨肉腫が見つかり、人工関節を使って生活していた青木さん。30歳のある日、道で転んで右足がかなり痛くなったのです。医者で見てもらったところ感染症にかかっており、太腿から下を切断することを勧められ、切断手術を受けました。
青木さんは12歳の時から、いつかこの日が来るのではないかと思っていたのだそうです。ですから、切断という決断はすぐにできたのだそうです。そして、彼の頭に浮かんだのは「幻肢痛」ってどんなものなのだろう?ということでした。
これまでわたしが本などで知った幻肢痛を体験した人のほとんどは、そういう状態になるまで、幻肢痛というものの存在を知らず、無くなった身体の部分に痛みを感じつことに驚き、戸惑う人ばかりでした。ところが青木さんは、どちらかと言えば「どんなことが起きるのだろう?」という「楽しみである」という感情を持っていたのです。
(1)自分の中で「いやぁー、右足首が痛くて。・・・って右足ないじゃん!」と唱えることで、切断されているという情報を第三者目線で指摘し、右足がないことを思い出させる。
(2)痛みを感じる辺りを手で払ったり、空間を手ですくってベッドのわきに捨てる。いわゆる”痛いの痛いの飛んで行け”方式
病院のベッドで、こんなことを試してみていたのだそうです。物理的にその部分はないということはわかっているのに、そこが痛かったり、痒かったり、うずいたりする「幻肢痛」を観察し、当事者研究を始めたのです。
友人と話をする中で、「幻視が過去の身体記憶に依拠しているなら、無重力空間でも幻視だけが重力を感じているかもしれない」ということに気づいたり、足を切断したことも幻視も悲しいことや辛いことではなく、新しい体験として捉えているのです。
そんな青木ですが、骨肉腫の治療で使われた抗がん剤の副作用で、高音が聴こえなくなっているということはわかっていたのですが、そのせいで蝉や鳥の声が聴こえなくなっていたということに気がついた時、それは足を失ったことよりも大きなショックだったのです。
失ったはずの足の痛みを感じることで、その存在を思い出すことがある一方で、失われた聴力に関してはずっと気づかずにいました。「無いものの存在」との関係は、人それぞれだし、誰かに話してわかってもらえるというものでもありません。でも、その存在と共に生き続けることが自分を知ることの一つなのかもしれません。
4年に渡る青木さんの日記は、同じようなことを体験するかもしれない誰かにとって、とても貴重なものになるのでしょう。
3427冊目(今年31冊目)
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