『「最後の一葉」はこうして生まれた』 齊藤昇 25-37-3433
O・ヘンリーは1862年、南北戦争中に、南部ノースキャロライナ州で誕生しました。本名は William Sydney Porter。3歳で母親を亡くし、叔母から教育を受けていました。父親が薬剤師だったこともあり、彼も薬剤師として働くようになります。
20歳になったころ、体調が優れずテキサスへ移り住みます。ここで牧場の仕事をしたりしていたのですが、知人の伝手でテキサス州土地管理局の仕事をするようになります。結婚し子どもも生まれ、幸せな家庭を築くはずだったのですが、妻が結核を患ってしまいます。
ヘンリーは銀行の出納係に転職し、真面目に勤めていたのですが、横領の罪で逮捕されそうになり、逃亡してしまいます。横領の犯人が本当に彼なのかどうかは不明なのですが、妻の具合が悪くなったという連絡で家に戻ったところで逮捕されてしまい、5年間服役することになります。
刑務所では模範囚でした、所内の病院で薬剤師として熱心に働き、夜の時間に執筆活動をしていました。作品を発表する時に本名ではまずいので「O・ヘンリー」というペンネームを使うようになりました。真面目な態度が認められ刑期は3年3か月の減刑されます。
出所後ヘンリーは、自分が前科者であることを知る人がいる町を離れ、ニューヨークへ向かいます。ここで自分の作品を世に問いたいと思ったのでしょう。そして名作を多く書き上げたのです。
1905年に発表された「最後の一葉」はグリニッジ・ヴィレッジが舞台だったということを初めて知りました。ここは作家や芸術家が多く住む地域ですね。
O・ヘンリーはとても真面目な人だったのでしょう。自分が刑務所に入っていたことを娘には絶対に話さなかったし、その経歴を恥じています。でも、刑務所で出会った人たちには、共感を感じているようなのです。「なぜ刑務所に入るようなことをしたのか、分からないような人がいる」と言っています。と思えば、逃亡した時に仲良くなった犯罪者アル・ジェニングズとの共同作品「列車強盗」を執筆したりもしています。
犯罪者だったり、貧しかったり、でも一生懸命生きている人のことを、愛をこめて描いたO・ヘンリーでした。すばらしい文章を書いただけでなく、絵も上手かったし、他人の話を親身に聞くことができたというO・ヘンリーが、晩年は酒浸りだったというのは、心の奥に何か、悲しさや空しさを抱えていたからなのでしょうか。最期は肝硬変と糖尿病を患い、48歳で亡くなりました。
墓碑銘には、O. Henry ではなく、本名の William Sydney Porter の名が刻まれているそうです。
3433冊目(今年37冊目)
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