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『心の傷を癒すということ 新増補版』 安克昌 25-118-3514

Kokoronokizuwoiyasu

心の傷を癒すということ 新増補版

安克昌(あん かつまさ)

作品社

 1995年1月17日、阪神淡路大震災が発生しました。あれから30年経ち、この震災の記憶が薄れつつあり、若い人の中には知らないという人も多くいると聞きます。

 この本の著者、安克昌さんは精神科の医師として、被災者の方たちの心のケアに尽力された方です。

 倒壊した建物の下敷きになったり、火事から必死に逃げたり、そこに助けたい人がいるのに助けられなかったり、そのストレスを抱えた人たちは、様々な反応をします。暗闇が怖かったり、寝ていても少しの揺れでビクッと起きてしまったりするのです。

 こういうショックを受けた後、躁状態になる人もいるのだそうです。といっても、気分のいい躁ではなく、興奮して大声で叫んだり、わけのわからない言葉を発したりするのです。本人は自分の状況が全く分からない状態ですから、なかなかいうことを聞いてくれません。そういう人たちをなだめすかして安全な場所へ移動してもらうのも、医療従事者や救急隊員や消防隊員たちの仕事なのです。

 

不思議なことに、水道、電気、ガスというライフラインの復旧に伴って、わたしたちの病院を訪れる人も増えた。そのほとんどが震災を契機に発症した人たちであった。
~ 中略 ~
身体の震えそのものは、実は、震災直後からずっと持続していたという。
「家族のものに悪うて病院には来れんかったです。わたしが我慢すればいいと思って」
それまでは病院に来ないで、自力で何とかしようとしていたらしかった。家族も「いつまでそんなことを言っているの」と言って叱咤激励していた。P163

 「PTSD(Post-traumatic stress disorder )心的外傷後ストレス障害」 というものが、この頃はまだ知られていませんでした。震災が心に与える被害に対する理解が一般の人たちの中には、いえ、医療関係者の中でさえ、余りなかったのです。

 ですから、自分の心の中にある恐怖心を他人に言えない人が大勢いました。そのせいで不眠や体調不良を起こして、やっと病院へやって来るという状態だったのです。そういう人たちに寄り添い、自力で何とかなるようなものではないと説明してきたのです。

 

神戸郊外の仮設住宅からは市内へのアクセスが悪く、交通費も非常に高くつく。バスの最終時間は意外に早く、遅くまで市街地で仕事をする人は家に帰れなくなってしまうのだ。P170

 仮設住宅に住めるようになったからといって、それですべてが解決するわけではありません。周りに知らない人ばかりで閉じこもりがちになってしまいますが、断熱材がきちんと入っていないから夏は暑く、冬は寒く、壁は薄く、隣の声は筒抜け、買い物へ行こうとしても交通費が高いのですが、この補助はありません。元々住んでいた場所の避難所へやってきて、仮設へ行かなければよかったと言う人もいました。

 仮設住宅からだと市街で働く人には不便なので、避難所や親戚の家を頼る人も多くいました。

 その後に発生した東日本大震災でも、能登半島地震でも、毎年発生する台風被害でも、いつも同じ問題が起きています。ただ住めればいいというわけではないのです。それぞれの生活を、それぞれの人生を守るには、余りにお粗末な仮設住宅。いったい誰が計画しているのでしょうか。

 

さゆり会(子供を亡くした親の会)はなぜか女性がほとんどの会である。男性にも死別のトラウマはあるはずなのに、これまで会ができなかったそうであるが、震災をきっかけに子どもを亡くしたお父さんの会ができたとい話をうかがった。一般に、男性の方が感情の表現になれていないようである。文化的にも男が嘆き悲しむことはあまり歓迎されていないからだろう。P279

 こういうジェンダーギャップが、夫婦間の関係にギクシャクしたものを生み、離婚に発展する場合もかなりあったそうです。自分の感情を上手く表現できないからこそ苦しんでいる人もいるということを見つけるのも精神科の仕事でした。

 

 震災が発生した時、安さんは35歳。ご自身も被災した身でありながら、被災者の方たちの心のケアに尽力されたのです。必死に働いているうちに、自分自身もストレスを抱えていることに気づきました。そんなときには弱音を吐いても、泣いてもいいんだと気づき、こんな風に自覚できないストレスとみんな戦っているのだと思ったのだそうです。

 そして、わずか4年後、安さんはガンで亡くなります。多くのストレスに囲まれていたことも、病気の一因だったのかもしれません。安さんが遺したこの本を、ひとりでも多くの人に読んでもらいたいと思います。そして、「心の傷を癒すこと」の意味を考えて欲しいのです。

 

 この本はNHKの100分de名著「安克昌“心の傷を癒すということ”」で知りました。読むのにかなり時間がかかりました。いろんなことを思い出し、いろんなことを考えました。災害だけでなく、様々な原因で心に傷を負うことがあります。そんなときに、この本のことを思い出すのでしょう。

3514冊目(今年118冊目)

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