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『ブルーザー・ブロディ 30年目の帰還』 斎藤文彦 26-90-3849

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ブルーザー・ブロディ 30年目の帰還

斎藤文彦(さいとう ふみひこ)

ビジネス社

モトムラタツヒコの読書の絵日記」で紹介されていた本

 その事件が起きたのは、プエルトリコでのプロレス興行当日のことでした。控室はベビーフェイス側とヒール(悪役)側に分かれており、ヒール側の控室にいたアブドラ・ザ・ブッチャーは「ブロディが刺された」とは聞いたけれども、大したケガではないと思っていたと証言しています。その日の試合は、ブロディ欠場というだけで予定通りに行われました。

 翌朝「ブロディが死んだ」ことを知ったブッチャー曰く、「ブロディの魂が俺のところへやって来て、こう訴えかけたんだ。「俺のワイフが今こちらへ向かっている。俺は会いにいってやれない。ブッチ、お前が会ってやってくれ」と。

 五時間後、サンファン空港で、これまで一度も会ったことがないブロディの妻バーバラと対面し、「フランクはもういない」と伝えたのです。

 バーバラが書いた「ブルーザー・ブロディ 私の、知的反逆児」でも、同じ話が登場していました。この瞬間まで、彼女はブロディの死を知らなかったのです。

 

 ブロディはトラブルメーカーだと業界内では考えられていました。でも、彼がそうなったのには訳があります。当時のプロレスラーのほとんどはフリーで仕事をしており、様々な国や地域のプロモーターとの契約にてこずらされていたのです。ギャラのことはもちろん、契約期間内の試合が多過ぎるとか、移動時間が長いとか。ほとんどのレスラーは文句を言わなかったけれど、ブロディはそういうことは許せなかったのです。相手が誰であろうと、ダメなことはダメ、無理なことは無理という人でした。

 

 1988年7月にプエルトリコで、地元のレスラーのホセ・ゴンザレスにナイフで刺され、ブロディは亡くなりました。舞台裏のトラブルが原因とされ、ゴンザレスは正当防衛を主張し無罪となりました。この事件はプロレス界に衝撃を与え、多くの関係者が証言を避けるなど謎を残しています。

 同じ控室にいたレスラーの証言によると、ゴンザレスがナイフで刺したのは間違いありません。でも、警察が来た頃には、彼は凶器をどこかへ片付け、着替えてきていたそうです。事件の原因は、個人的遺恨なのか、ビジネスの問題なのかはわかりません。確かなのは、ブロディが刺されて死んだという事だけです。

ブロディは1974年4月、27歳と10か月でプロレスラーとしてデビューし、1988年7月に現役選手のまま42歳でこの世を去ったから、そのキャリアは意外と短く14年3か月だった。

 けれども、記憶にはしっかりと残っています。世界中を転戦したブロディは、日本のプロレスはファンがちゃんと試合を理解して見ているから、他とは全然違うんだとインタビューで語っています。他の国でのオファーがあっても、日本の試合があればそちらを優先していたという言葉には驚きました。最初は全日本プロレスのリングに上がり、一時期新日本プロレスでも試合をしましたが、結局全日本に戻りました。プロレスラーとしてアントニオ猪木は魅力があったけれど、興行主としてはジャイアント馬場の方が上だったという事だと思います。

 ブロディの死後、ほとんどのレスラーはどこかの団体へ所属するようになりました。そういう時代にブロディが生きていたら、「そういうビジネスだから」と言いながらレスラーを続けたのでしょうか。それとも、大好きな株のディーラーに転身していたかなぁ?

3849冊目(今年90冊目)

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